突然の別れ。
2026年1月11日。佐渡を愛する者として衝撃的なニュースが届きました。
大間港(おおまこう)の象徴であった「トラス橋」が、暴風により崩落したのです。
私が佐渡に最後に帰省した時に見に行ったのは大間港でした。
形あるものはいつか壊れると分かっていても、ニュースで崩れて傾いたトラス橋の画像を見た時は、あの凛とした姿が失われた喪失感を感じました。
そこで今回は、私が2020年8月に現地を訪れ、カメラに収めていた「ありし日の大間港」の記録を、手元のパンフレットや資料と共に紐解いていきたいと思います。
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今回ご紹介するのは、金を中心とする佐渡鉱山の遺産群です。

前回ご紹介した江戸時代の『道遊の割戸』が手作業の執念の象徴なら、今回の大間港は、その歴史を近代へと繋ぎ、世界へと拓いていった技術革新の象徴と言えるでしょう。
前回のブログはこちら↓
世界遺産登録前の佐渡金山 触れることのできた金塊と哀愁の鉱夫|File.05 | そら色の小ビン
本記事をお読みいただく際のご注意
※当ブログで紹介しているパンフレットや資料は、すべて私が個人的に保管していたものです。
※掲載している情報(店舗数・メニュー・価格・サービス内容・イベント情報など)は、発行当時の内容であり、現在の状況とは異なる場合があります。最新の情報については、各施設・店舗・自治体などのHPやSNS、公式発信をご確認ください。
また、パンフレットに掲載されている連絡先や個人名などの情報は、安全のため一部を伏せて掲載しています。
※こちらは個人的な記録のため、店舗へのお問い合わせや詳細のご質問にはお答えできません。
ご了承ください。
【動画】2020年8月、大間港の記憶
こちらの動画は今回の崩落から約5年半前、まだ力強く海へ伸びていたトラス橋の全貌です。
波音と風の音の中に佇む鉄骨の美しさ、そして周囲の石積みとの調和する景色がそこにはありました。
大間港とはどんな場所だったのか?
ここで少し、大間港の歴史をご紹介します。


大間港は、明治時代に佐渡金銀山の近代化を支えるために築かれた「積出港」です。
- トラス橋(ホッパー): 山から運ばれてきた鉱石を、船に直接積み込むための巨大なコンベアの台座でした。
- クレーン台座: 城壁のような石積みの上にはかつてクレーンがあり、石炭などの荷揚げに使われていました。
まさに、佐渡の富を世界へ送り出す「海の玄関口」だったのです。
資料で振り返る「時の流れ」

手元にある「金を中心とする佐渡鉱山の遺産群」のパンフレットの中から、興味深い所を厳選してご紹介します。

ここには大正・昭和初期の活気ある姿と、今回の崩落前のトラス橋の姿の大間港の写真が載っていました。
比較してみると、屋根が失われ鉄骨が剥き出しになりながらも、100年以上耐え抜いてきた歴史の重みが伝わってきます。

また、この資料には佐渡欽銀山の「世界遺産」としての価値についても記されています。
その価値をこれからも守りながら後世へ伝えていってほしいです。
折り紙建築で知る「構造の美」
私は令和2年に「きらりうむ佐渡」を訪れて『折り紙建築で旧佐渡鉱山施設を作ろう』という企画の案内チラシを記念に持ち帰りました。

そのチラシに掲載されている一部をご紹介します。

この企画の第三回のお題が「大間港」。
なんと、シリーズの中で「難易度は一番高い」とされています。
完成図を見ると、あの複雑なトラス構造とクレーン台座が精巧に再現されています。
おそらくプロの視点から見ても、それほどまでに特異で美しい構造物だったのですね。

チラシ裏面には、大立竪坑櫓から大間港まで繋がる「金銀生産システム」の図解もあり、山から海へ続く壮大な流れが本当によく分かります。
「きらりうむ佐渡」のパンフレットも、いずれじっくりご紹介しますね!
受け継がれる風景
この美しい写真はパンフレットではなくクリアファイルです。
『未来に伝えよう 佐渡欽銀山の歴史 史跡佐渡欽銀山遺跡』というキャッチコピーが下の方に書かれていて、裏側には『佐渡を世界遺産に』のロゴがあしらわれています。

北沢浮遊選鉱場と大間港の美しくてカッコいいデザインが気に入っていて大事にしています。
佐渡金山というと道游の割れ戸や坑道を思い浮かぶ人も多いと思いますが、この産業遺産の風景も多くの佐渡の人に愛され、大切に守られてきたものなのです。
願いと次回予告

今回の公開したトラス橋崩落前の動画が、佐渡の歴史を愛する方々や、今後の修復・調査に関わる方々にとって、わずかでも一助となることを心から願っています。
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次回のパンフレットは……
『萌えキャラブームが彩った航路 盛衰の波を駆け抜けた『カーフェリー三姉妹』と宝探しの記憶 File.07』をお届けします。
どうぞお楽しみに。


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